“活着”

“活着”

 

これが私のブログで最初の映画のレビューとなるわけだが、まだ慣れないところがあるのはご容赦いただきたい。(下にyoutubeリンクあり)

 

まずこの映画の原題である“活着”、私の拙い中国語力で訳すとすれば『活きる』、とでも訳せば良いだろうか。(ググってみたところ邦題は実際“活きる”だった!)‘94年公開の张艺谋による作品である。原作はその前年に余华によって発表された同名の小説で、舞台は1940年代から始まる。日本軍の描写が出ないことと、共産党と国民党の抗争のシーンがあることからおそらく日中戦争以後であろう。登場人物は主人公の福贵、奥さんの家珍、娘の凤霞、息子の有庆。小説は読んでいないが、ストーリーが大幅に変更されているとのことだが、面白い(と単純な一言では言えないが)。

 

 

映画を見たい方は先に見たほうがいいかも(ネタバレ注意)

主人公の福贵は地主で仕事をせずとも悠々自適の生活を送り、毎晩ギャンブルに入り浸っていた。家珍はそんな彼を見限って実家に帰る。同時に彼はギャンブルで破産し一文無しに、屋敷は龙二に借金の返済として奪われ、全てを失った福贵は途方にくれる中、道端で残った家財道具を売って生活をすることになった。ある日息子有庆の誕生と共に家珍が改心した福贵のもとに帰って来る。元々歌がうまかった福贵は影絵芝居士として生計を立て始めた。ある日、芝居の出張中に国共内戦に巻き込まれ、国民党と共産党の両方に順に仕えさせられることとなる。無事家に帰る頃には実母は亡くなり、凤霞は口がきけなくなっていた。その頃国民党が台湾にまで引き下がり、共産党の支配が本格化。屋敷を明け渡した龙二は反革命派として射殺、福贵はもし自分があの屋敷にまだいたら、と震える。次第に革命色が強まるにつれて街は共産党一色となり、家族は革命という荒波に揉まれながらもうまくそれに適応しながら生きていく…。

 

 

直球の感想としては本当に良い作品であった。禿げた遊び人の頃の主人公福贵は、いつしか観客の心を捉えて離さず、力強く、それでいて物腰が柔らかい人物像へと変化を遂げて行く。地主から一文無し、国民党軍から解放軍へ、共産主義へと大きな変化も経験する。話はこの福贵の家族を支柱に、1960年代ごろまでが描かれる。富贵は不幸の連続に見舞われる人生を体験する。家を失い、地位を失い、母を失い、娘は声を失い、息子を失った。それでも家族は“活き”なければならない。福贵は共産党の体制にうまく適応し、悲しみや喜びの中で活き続けた。

 

凤霞は結婚相手を見つけ、不幸に見舞われた人生の中にやっと幸せを見つけることができた。“凤霞从小就命苦”、“娶凤霞那天多叫点人,热闹热闹,也让凤霞高兴高兴。”娘を思う母の気持ちだ。町をあげて祝ってもらった凤霞は両親に別れに告げる時、涙する。このシーンは、結婚という幸せと同時にその後に訪れる不幸を予見していたのかもしれない。

あるシーンでは、息子を轢き殺した張本人であり、福贵の芝居の仲間であり、共に戦線を生き抜いた友人でもある春生に対し、家珍が“春生,你记着,你还欠我们家一条命呢!你得好好儿活着!”と呼びかける場面があった。彼はちょうど走資派(反革命派)として町長の立場から引き下ろされ、奥さんが自殺したと当局に告げられたばかりだった。(本当に自殺だったのかは不明)妻の遺体も見ることができず、活きる希望を失い“福贵,我不想活了“、福贵の元に来て最後のお詫びとして貯めてきた口座を渡そうとしたのだった。そこで今まで彼を恨んでいた家珍が彼にかけた言葉であった。この福贵一家は様々な不幸を経験しながらも、人情を失うことは無く、前を向き続けていくのである。

と、自分の中でいくつか印象的でセリフが比較的聞き取りやすかったシーンを紹介してみたがダラダラと続きそうなのでもうここら辺でやめにして思ったことを言おうと思う。

 

 この変革という時代の狭間に生まれ、生きた家族の話を通してこの映画は何を私たちに伝えようとしているのだろうか。軽く観ると毛沢東共産主義を批判しているかのように感じる人もいるだろう。確かに毛沢東による大躍進政策の綻びが時折見られるが、この映画はそこで留まっていない。この変革や、様々な不幸にもうまく適応し、力強く“活き”残っていこう、という意志を福贵からは感じられる。さらにこの映画は、単なる一家族の不幸を描くことで観客の感動を誘おうとしていたわけでもないだろう。そうではなく、彼ら庶民を通してこの、多くの人たちにとって様々な犠牲を強いられた、悲しい一つの時代を描こうとしているのではないか、そんな気がした。

 

 最後のシーンで、ヒヨコを見ながらヒヨコが大きくなったら何になるの、と聞く孫馒头に福贵は息子有庆を思い出し、一瞬答えに詰まるものの“那个时候啊,日子就越来越好。”とこれからの時代に希望を抱いている。凤霞とその婿が描いた中庭の毛沢東の絵は霞みかけていた。劉少奇、鄧小平による再建の時代が訪れようとしている時であった。映画は劇中を通してずっと流れていた悲しい音楽とともにその幕を閉じる。

  

一つの時代が終わっていく中で、福贵のような庶民はどのように地に根を植えて活きていったのか。これからもっとこの変革の時代について勉強していこうと思った。

 


To Live 1994, Full movie with English subtitle