価値観

深夜4時27分

再び書きたいという意欲が湧いてきた。

年に数回ほど会って、夜通したわいもない話をしたり映画を見たりする友達がいる。しかしそろそろ潮時なのかとも感じる。これは誰が悪いとかそういう話ではないのだ。もしかしたら私が変わりすぎたのかもしれない。

実は前日にも懐かしいメンツで集まったのだが、やはりどこか"合わせている"自分がいた。別に全く楽しくないということを言っているのではないが、しんどいのだ。いっそのこと全てぶった切ってしまいたい。一方で昔自分がいた環境にはまりたくてもはまりきれない自分にどこか寂しさを感じてしまう。

私は常に変わることを志して、様々な体験から価値観を次々にぶち壊して、立て直してきた。そして、私自身が勝手に広いと思ってるにすぎないその幾重にも立て直した価値観を出来るだけ多くの友人に還元したい、理解してほしいと思っているのだがそんなことは叶わないのである。

昨日は少しばかり以前より上手くそれを出しつつ立ち回ることができた自分がいたなとは思えることもあったのだが、畢竟人間は自分がいる環境に縛られる。それぞれのいる環境つまりは文化(面倒な定義は抜きにしてここでは一般的な意味)、家族や友人といった周囲の人間、そういったものに影響を少なからずは受けて価値観が形成されていくのは自然なことである。時間をおいて会う友人とはどうしても話が合わなくなってくるのは仕方のないことなのだろうか。

最近生についてよく考える。留学に備えてと中古の本を何冊かまとめて購入した。その中にセネカ小林秀雄などの人生にまつわるものを混ぜておいた。人生の目的、これは私が常に探求しているが見つからない、いや見つかるはずもないものだ。留学に行ってまたいつもと違う環境に長いこと身を置けばさらに色々と見えてくるものもあるだろう。時間がかかりすぎるからといって長いこと倦厭していた読書を再開して、過去の偉人達にも学ぼうと考えている。

この夏は、香港に行ったことを除けばひたすら映画を見て様々なことを学んでいる。映画はやはり素晴らしいツールである。もちろんそれ自体に鑑賞価値があるものもあるが、映像を通して見る世界、人間は強烈に胸に食い込む。少しずつでいい、その胸に食い込む感覚を、その喜びを、その幸福を多くの人に伝えたい。