インド映画

先日、新大久保で麻辣烫を食べる約束をしていたが、予定を変更してTOHOシネマズシャンテにインド映画を観に行った。“PADMAN”という変な響きの名前だ。何を隠そう女性用生理用品のpadのことである。詳しい内容はネタバレになってしまうので自重。広告と同じ内容だけ伝えるとしよう。

インドの片田舎である一人の愛妻家がいた。工場で働く彼は妻のためなら何でも作った。金はないが、幸せな生活であった。しかし月に一度訪れる妻の異変に彼は違和感を覚えずにはいられなかった。インドではその期間の間、男性が近づくことは許されず、寝るときも家の外で過ごさなければならないという習慣がある。主人公はそんな馬鹿げた習慣はやめろと言うが、インドの文化的因習から抜け出すことは難しい。しかも使っているのは汚れた布、病気になるかもしれない。そんな妻を見て彼は再び自分で一から作ろうと試みる。試行錯誤を繰り返す中で、村中の嫌われ者になり妻にも見放され、追放されてしまう。しかし彼はそれでも諦めず、作り続けた、、、。あとは映画を見て欲しい。

 

映画そのものより、驚くことが一つあった。観客数の多さである。前の方の見づらい席を覗き、それより後ろの席は全て埋まっていたのである。私が今までインド映画を観に劇場に訪れた時、それは大抵小さな劇場か、そうでなくても観客は数人程度で上映されていることが多かった。稀にヒット作であればほぼ満席のこともあったかもしれないが、私にとっては全部私の心にヒットするものであったから片手で数える程度しか観客がいなかったのは本当に残念であると同時に席を選び放題であったため、ワクワク感もあった。このTOHOシャンテも以前私が「ミルカ」という実在したランナーを元にした映画を観た劇場と同じであった。その時も大スクリーンにも関わらず自分の他に5人いるかいないか程度であった。今回なぜここまで観客数が多かった理由は定かではないが、夏前に公開された「バーフバリ」もなかなかの集客数であったらしい。私は観ていない。このブログを書くために予告編を見てみたがそれだけで見なくてもいいかな、と思ってしまった。アクション系で CGをふんだんに使っている雰囲気がプンプンしていて気に食わなかった。そうじゃないのだ。私が見たいのは現代の、変わりつつあるインドの人々のエネルギッシュでパワフルな物語が見たいのだ。

インドの映画は一様にヒンディー語で作られているわけではない。その国の広さからしてわかるように様々な言語があり、言語ごとに大まかに区分けされた州ごとにそれぞれ映画業界が存在していたりする。だがただの娯楽映画を除いて、近年ヒットする映画の共通として私が見ていて感じるのは、どれもがインドに根強く残る宗教的・文化的因習を題材に取り上げ、それを最終的には乗り越えてハッピーエンド、そんな映画が多い。しかも真に迫る映像表現、さらには特有の歌や踊りによって内容そのものもさることながら、一度見たら忘れることがないほど強烈な印象を観客に残す。元々は歌と踊りばかりであったらしいインド映画も、近年ではそれを見直し、内容そのものを重視する潮流が生まれた。この手法は特に「きっとうまくいく(原題:Three Idiots)」で有名なアーミル・カーンが上手い。社会問題と結びつけることでインド人全体の心を掴み、さらにそれに歌と踊りをうまく結びつけることで娯楽としての側面も残している。ハッピーエンドで終わる映画が多いのもインド人の陽気さを表しているだろう。この潮流はインド人自体に文化的因習を見直させたり、インド社会そのものを振り返って自省を促すことに一躍買っているであろうが、映画そのものが富裕層の娯楽であることを考えるとその道のりは長い。とは言え、映画そのものの完成度はどれもとても高く、外国人が見る分にもとても楽しめる。さらにはインドそのものを見る窓としての役割も果たしてくれるであろう。

 

 

映画を見てまたインドに行きたくなってしまった。もうすぐ人口で中国を抜かすと言われているインド、経済はまだまだこれから発展し続けるであろう。人々の生活が豊かになるにつれ、映画の潮流も再び変わってくるかもしれない。これからもその行く末を見ていきたい。


映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』予告(12月7日公開)