パプー

今更ながら、昨年インドに行って見たこと、思ったこと、体験したことについて書いたブログが旅3日目で更新をサボっていたことにおよそ半年経ってようやく向き合うこととし、凍えるような寒さの部屋の中、深夜2時に書き始めようと思って書くのである。しかも今夏の旅についても書くことが満載であるためとても億劫であるが、書かなければ、自分のその時の感情を言葉にして残さなければ、いずれぎゅうぎゅうに新たな知識を詰め込むであろう(?)脳はパンクしてしまう。もう初めてのインドへの旅は1年3、4ヶ月程前のこととなってしまっているが、やはり私に強烈な印象を残しており、まだかろうじて覚えている。

 

 さて、体調を崩して何もできなかったジャイプールを後にした私たちはアグラへと朝6時からおよそ5時間半、すっかり慣れてしまった鉄道で、垂直の背もたれにじっと座りながらひたすら外を眺めながら過ごした。途中何度か駅で止まるのだが、インドの鉄道で怖いのは乗り過ごすことである。駅についても皆周りのインド人たちは自分で勝手に降りるだけで、誰かが案内してくれるわけでもない。常にGoogleMapで自分が今どこにいるのか把握しないと不安で仕方ない。インドの片田舎の知らない小さな町に放り出されたら溜まったもんではない。列車をひたすら往復しているチャイ売りのおじさんはひたすらチャイチャイチャイチャイ唱えながら通路の両側の乗客をジロジロ見ながら通っていく。この時は冷房がない低クラスの車両(Sleeper Class)に乗っていたため午前中であることもあり、暑くなるかと予想はしていたが、それに反して鉄格子のみの窓からは風がビュンビュン入ってくるため、背もたれが垂直なことを除けば全くもって快適そのものであった。

前回書かなかったが、インドの列車で印象に残っていることとしてもう一つある、いやもっとあるかもしれない。まずは駅に電車が留まる度に小銭を求めに様々な物乞いが乗ってくるのだが、基本私はこの手の者を相手にしない。というのもいちいちお金をあげていたらすぐにでも私の財布はすっからかんになってしまう。歩くことができない者、片腕や片腕が無い者、気の毒だと思ってもどうすることもできないのである。ある乞食がズリズリと通路を這いながら私の席の元へやってきた。ここまではよくあること、いつも通り無視を決めて窓の外を眺めて黙りこくっていたのだが彼は全く動かない。ただ小銭の入った入れ物をひたすら私に見せてくる。2分ほど粘ったがどうしても行く気を見せない彼についに私は折れてしまった。おずおずとポケットからお札を取り出し、100ルピーをそっと入れてやった。すると彼が喜ぶのは当然だが、興味深かったのは私たちの前に座っている3人家族の羨望とも取れる驚きの表情であった。100ルピーは日本円にして160円、飲み物を一つ買うので精一杯であろう。しかしここはインド、貧困にあえぐ人は5人に1人はいる。つまり2億7千万人近くは苦しい生活を強いられている。100ルピーもあれば水は5本買える。乗っている車両は低所得層が乗るエアコン無しのスリーパークラス、その家族にとって100ルピーを乞食に与えてしまうこと自体が衝撃だったのかもしれない。だが列車に乗っている時点で貧困でもある程度マシな方なのでは?とも思ったが私は外国人専用オフィスでチケットを購入したため多少割高であったが、彼らはもっと安く乗ることができるのであろう。

さて列車が駅に着いたと思われるが、念のため近くの人に聞いてみる。首を横にふる。大丈夫なようだ。駅を出るとリキシャがずらっと並んでいた。見慣れた光景だ。これに続くのは運転手による猛烈な声がけである。いつも通り無視のスタイルを取って声がけをしてこない運転手のところへ行こうとしたところだった。他の運転手が“100!50!”などと声をかけてくる中で一人だけ“20、20”と日本語で声をかけてくるおじさんがいた。これがパプーであった。基本的に疑ってかかることを学習していた私は、その安さに逆に疑いが強くした。旅では贅沢をしている余裕はない。彼のリキシャに乗り込んだ。後になって彼との出会いが私のインドに対する愛を深くさせた出来事となったとはこの時思いもしなかった。

パプーは私たちをホテルへ連れていってくれたがお金を払おうとすると“アトデ、アトデ”と言う。こんなことがあろうか。今までの運転手たちはむしろぼったくろうとするものが多かった。しかも何が“アトデ”だと言うのだろうか。ここでお別れではないのか。すると急に英語で1時間後に出てこい、アグラ城へ連れてってやる、と言われた。なるほど、まとめて後払いか。この手で大金をふんだくってくる運転手もまれにいるので初めは警戒したものの、見た感じ(?)悪い人ではなさそうだし、この街について事前に調べたわけではなく土地勘も掴めないため、とりあえず言う通りにしてみることにした。彼がホテルまでの道中見せてくれた一冊の小さなノートに書かれていた日本語のメッセージも私の判断を助けた。これもまた“よく日本語が書いたノートを見せて騙してくる”と言うことを事前に読んでいたためこれもまた怪しいとは思いつつも事細かに書いてある上、“楽しめるかどうかは自分次第”と言う言葉を見て信頼できると判断したのだ。

こうしてパプーによる私たちのためだけのアグラ観光が火蓋を切った。

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パプーのノート

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威厳が漂うアグラ城

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アグラ城から見たタージマハル。城の穴から覗くと黄金に輝いているようにも見える。

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アグラ城と同じ真っ赤なサリーを羽織る女性

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インドクオリティのドアノブ