Knock, knock, knockin' on heaven's door

今朝早い時間に、母に電話があった。母が悲痛な声をあげた。
嫌な予感がした。
獣医からであった。
数日前に肺炎で入院していた。
寝癖も直さずにすぐに車で向かった。
車内では唯一母が涙を流していた。
父も姉も、そして私もまだその事実を受け止めきれなかった。私はおそらくその亡骸を見ても受け入れられないだろうと思っていた。


私が4歳の頃であった。我が家に可愛らしい白くて小さな家族が増えた。共に遊び、共に大きくなった。常に若く、元気だった。いつも私に対しては強い態度をとっていたが、それでも時折甘える姿を見せた。ご飯が大好きだった。ドッグフードはもう小さい頃以来食べなくなり、私たちの残したご飯を与えていた。食事の時はいつも私や父の足元におすわりをしてせがんだ。果物も大好きであった。一番の好物は梨だった。しゃりしゃりと音を立てながら美味しそうに食べ、次の梨を求めて来たのを覚えている。雷が苦手で、洗面所の端っこに座って雷が終わるのを待っていた。寒い日には同じ布団で寝ることもあった。共に旅行することもあった。電車や新幹線にも乗せた。夏には一緒にプールに入った。私の祖父が大好きであった。会うたびに大喜びで飛びついて顔をペロペロと舐めまわした。歳をとってオムツをするようになり、階段も登れなくなった。散歩に行く体力もなくなくなり、1日中家で寝ていた。ついこないだ、歯も全て抜いた。それでも見た目は若く、相変わらず吠えたりしていた。何度か大きな病気にも見舞われても、いつも元気に帰ってきた。今度もそうだと思っていた。このまま一緒に歳を取れる、そう信じていた。


入院する前夜、苦しそうにしていたのを覚えている。翌朝もまだ苦しそうにしながらいつものように私の元に来てマッサージをせがんで来た。その時はあまり時間がなかったため大して構ってやれなかった。その日、母から入院させたと連絡が入った。興奮するといけないからと面会は許されなかった。心配をしたが、また戻って来ると信じていた。2日後、病院から連絡があり、少し元気になったと聞いて退院を待ち遠しく感じた。

家に帰るとどこか寂しかった。帰るたびに探し、その度にまだ病院にいるということを思い出した。


病院に着くと医師が迎え入れてくれた。それはドラマで見る、遺族を迎える時の表情そのものであった。
15年と10ヶ月、もうすぐ11ヶ月でした。医師はそう告げた。台の上にトイレットシートのような大きな敷物が敷かれ、その上に横たわっていた。目は開いており、まだ生きている、一瞬そう思ってしまった。
母がごめんね、ごめんね、と泣きながら抱きついた。私はそれまで信じられずにいたが、その亡骸を見た瞬間様々な感情が込み上げて来た。涙が溢れて来た。医師から昨夜までは元気だったと告げられ、さらに涙が溢れた。まだ暖かった。ついさっきまで生きていたのではないかと思った。私はそっと毛布にくるみ、抱き上げた。抱っこが嫌いだったが、この時は快く私を受け入れてくれた。いつものように私は顔を鼻に押し付けその冷たさを感じた。目はまだ濡れていて涙が浮かんでいるようにも見えた。

帰りの車中、私はずっと抱えていた。関節はまだ動き、慎重に抱えていなければならなかった。
涙が止まらなかった。寂しかった。毎朝私が起きると体を押し付けてきてマッサージをせがんだ。私が帰ると寄ってきて尻尾を振った。オムツをつけてからは毎晩私が外に出して用を足させた。小さい頃は人形を投げて取りに行かせてよく遊んだ。私のことをよく噛んで泣かせた。

あの冷たい鼻に触れることはもうできないのか。あの声をもう聞くことはできないのか。あのプライドが高い、賢い子にはもう会えないのか。

最後の瞬間、この子は何を思ったのだろうか。何を感じたのだろうか。ひとりぼっちで死なせてしまったことが私の心に引っかかっている。

家に着く頃には冷たくなり始めて

いた。私は放心状態のまま学校に行った。

帰ってくるともうすっかり冷たく、硬くなっていた。
私は最後の散歩に出してやった。抱えながら一緒に星を見た。いつものように用を足して欲しかった。

ベッドに横たわるその亡骸はまだ呼吸をしているかのように上下しているように見える。

あの子に、会いたい。

f:id:dracorex0613:20171219021652j:plain

2017年12月18日